ルドルフ・ゼルキンのラスト・レコーディングに寄せて

 来る11月17日にルドルフ・ゼルキンの未発表録音がリリースされる。

その内容は、彼が最も得意としたベートーヴェンのソナタで、演奏回数が多かったことから、ゼルキンと言えばこの2曲を思い浮かべるほどの、ワルトシュタイン・ソナタ(1986年ニューヨーク録音)と熱情ソナタ(1989年ヴァーモント録音)だ。

 1991年にゼルキンの演奏に魅せられて以来、私はすっかりゼルキンの虜、彼の演奏を追いかけて、CD、LP、LD、DVD、CD-R、ネット配信、SPとスタジオレコーディングからライヴ録音、放送録音、本来は世に出ないはずの海賊盤、ありとあらゆる“ゼルキンの音”を追いかけてきた。何度も来日し、生前は人気のピアニストであったはずだが、ゼルキン自身のレコーディングへの厳しさ、録音が完了されてもリリースが見送られ、お蔵入りになったものも多く、そのキャリアに比べると残され発表された録音は多くないと言われてきた。ゼルキンが「1つの曲でも同じ演奏は2度とあり得ない」と言っていたように、彼は節目ごとに彼にとって大切なレパートリーを繰り返し録音してきた。例えばベートーヴェンのピアノ協奏曲全集は1950年代、1960年代、1980年代に合わせて3回、ブラームスのピアノ協奏曲全集は1940年代、1950年代、1960年代(2回)に合わせて4回、レコーディングを繰り返している。1970年代のゼルキンの演奏が深みを増し、もっとも充実した演奏を聞かせていた頃に協奏曲の演奏が途絶えたのは、ゼルキンの演奏を阿吽の呼吸で支えた指揮者オーマンディのレコード会社移籍(当時オーマンディもゼルキンもCBSの専属アーティストであった。オーケストラ作品の録音について、同じCBSのスター指揮者バーンスタインのプロジェクトが優先され、オーマンディが希望しても、バーンスタインが既に収録した作品についてCBSがGoサインを出さないことにブチ切れての移籍であった。)によるもので、ライヴでは両巨匠の共演はオーマンディが亡くなるまで続けられていたが、公演記録は確認できるものの、その録音が出てこないのは誠に残念である。「私のピアノにはオーケストラは必要ない」と語り、協奏曲の演奏になかなかYesと言わなかったホロヴィッツが、オーマンディの指揮でならいつでも弾くといったほど、オーマンディの協奏曲の指揮は見事であったと伝えられる。全盛期のゼルキンによる協奏曲のスタジオ録音が残されなかった空白の10年(実際には1969年から1980年の11年)ができてしまう(これは、1970年にベートーヴェンの協奏曲が収録されなかったばかりか、ゼルキンのもっとも充実した時期の協奏曲演奏が残されなかった痛恨の極みであるが、近年、ライヴ録音が発掘され、1970年の全5曲ライヴがマックス・ルドルフとの共演で、1977年の全5曲ライヴがクベリークとの共演でリリースされたのは朗報であった)わけだが、前向きにとらえれば、そのおかげで、ゼルキンの多いとは言えなかったピアノ独奏曲のレコーディングが増えたのだ(オーマンディが1968年にRCAに移籍したことによって、長年RCAの看板ピアニストを務めた最晩年のルービンシュタインが協奏曲を残すことができたわけであるから、歴史とは良くも悪くも不思議なものである)。生誕200年を迎えたベートーヴェン・イヤーの1970年、ゼルキンはこれまでモノラル時代に収録したピアノ・ソナタのステレオでの録り直しに加えて、ディスコグラフィーになかったソナタを立て続けに録音した。1970-71年シーズンに8回にわたるカーネギー・ホールでのリサイタルが組まれ、ゼルキンによる初のベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全曲演奏会が開かれた。1970年当時、ゼルキン自身が許可してレコード化されていたベートーヴェンのピアノ・ソナタは第8,14,21,23,24,26,30番で、悲愴、月光、熱情、ワルトシュタイン、告別と人気のソナタがリリースされていたことは幸いであったが、その数たったの7曲(内ステレオ盤はたったの3曲)。ベートーヴェン弾きと言われ、リサイタルで度々ソナタを取り上げてきたゼルキンとしては、信じられないほどの少なさである。いかにゼルキンが録音に慎重で、とことん弾き込んで納得ゆくまでやりきらなければリリースに至らなかったことがわかる。1970年代半ばまでに、本人の承認を得てピアノ・ソナタ第11、28、29、31番が新たに盤歴に加わり、24番のステレオ新録音が発表された。それでもベートーヴェンのソナタ全集からすれば3分の1である。そのような状況下で開催が発表されたゼルキンによる、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全32曲演奏会は歓喜とともに迎えられたはずだ。しかし、上記の11曲と録音が残されていなかったソナタ第1、6、12、13、16、32番、幻想曲Op.77とバガテルOp.119を演奏した第4回までを無事に終え、残りのソナタ、すなわちゼルキンによる初レパートリーが発表されるのを観客は待ったはずだが、5回目以降のリサイタルはキャンセルされ、ゼルキンによる新しいベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏が発表されることはなかった。1977年にゼルキン生誕75年を祝ってテレビ中継によるリサイタルが開かれた。そこで告別ソナタ(第26番)が演奏され、ステレオによる新盤が加わった。ゼルキンはライヴの人。観客を前にし、深みの増した熱狂的な演奏を聴かせた。それでも、なかなかベートーヴェンのソナタを録音しようとしないゼルキンを見て、なんとか全集を完成させてほしいと願ったプロデューサーのトマス・フロスト(ホロヴィッツ、グールドなどCBSの伝説的となったレコードの多くを彼が手掛けている。)は「ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集をゼルキンに完成してもらうべく、最大の努力を尽くしたが、ゼルキンに完成してもらうにはもう一度生まれ直してもらわない限り不可能だ」と、ゼルキンの慎重で真摯な姿勢に敬意を払いながらもストレートに語っている。告別ソナタの新盤から10年が経ち、ゼルキンは1987-88年シーズンをベートーヴェンの後期三大ソナタ(第30、31、32番)をプログラムに世界を巡った。1987年10月30日のウィーンでのリサイタルはオーストリア放送協会によって収録され、DGレーヴェルからCD、LD、DVDなどでリリースされ、今も名盤の誉れ高いが、最晩年を迎えていた84歳のゼルキンがベートーヴェンのソナタを3曲もリリースしたことは驚きと歓喜とともに迎えられ、朗報が流れたのであった。ようやく32番が盤歴に加わり、1988年当時、ゼルキンによるベートーヴェンのピアノ・ソナタは第8、11、14、21、23、24、26、28、29、30、31、32番が発表された事となる(12曲)。

1991年5月8日ゼルキンは天へと旅立つ。これはゼルキンによるベートーヴェンが、得意のレパートリーも、新しいレパートリーとなるはずであったその他のソナタも、もう2度と聞くことができないことを意味した。私を含むゼルキン・ファンの渇きを癒すべく、1990年代前半はCD全盛期であったことも手伝って、イタリアのアルカディア社など、多くのマイナー・レーヴェルがゼルキンのライヴ録音による、ベートーヴェンのピアノ・ソナタをリリースした。アルカディア盤は、決して音質の良いとは言えないロンドンでのリサイタルが演奏会のプログラミングを無視して2枚にまとめられていた。その中には、ゼルキンによる正規録音のないピアノ・ソナタ第12、13、16番が含まれていて、当時、モノラルでスタジオ録音されたワルトシュタイン・ソナタもCD化されていなかったので、ワルトシュタインについてもこのライヴ盤が唯一のゼルキンの“ワルトシュタイン”であった。誰もが現状を受け入れなくてはならないと意識していたゼルキン没3年後、次男でピアニストのピーターによって、未発表録音が世に出されたのである。CD3枚分、9曲のソナタ(第1、6、12、13、16、21、30、31、32番)のうち5曲が1970年のカーネギー・ホールでの全曲演奏会の直前にスタジオ録音されたものであった。ゼルキンの最も充実していた時期の録音が世に出て、しかも、それがベートーヴェンのワルトシュタインを含むソナタ集で、伝説となったCBSスタジオで収録されたものがほとんどで音質良好、私が狂喜乱舞したことは言うまでもない。今に比べると新譜の値段が高かった上に3枚組、思い返せば高校生のお小遣いからすると高い以外のなんでもなかったが、躊躇せずに買ったことを思い出す。ピーターによるリリースが行われたことで、ようやくゼルキンによる半数のベートーヴェン:ピアノ・ソナタ集が世に出たのである。

 2001年、ゼルキン没後10年の年、ソニークラシカル(旧CBS及びCBSソニー)による記念リリース、すなわちLP以来の初CD化を期待した。10タイトル(11枚)がリリースされたが、初CD化はブラームスの独奏曲1曲のみで、特典盤を含む全てが有名な名演のリバイバルで、ただただがっかりしたものだ。1992年の不滅の名盤シリーズ以来廃盤になっていたものがほとんどであったから、ゼルキン名盤の復活は嬉しいが、内容にはもう少し、+アルファがあって良い、ファンにとっては、何とも情けないソニーの企画に愕然とした。

 2002-4年にかけてフランスのソニーがゼルキン生誕100年を記念して、モノラル時代の名演を含む、多数CD化する。その数22枚、初CD化を多数含むBOXセットでもバラでも発売された。その中には、1976年6月8日に録音されたショパンの24のプレリュードOp.28とメンデルスゾーンのプレリュードとフーガOp.35-1の未発表録音集による1枚、これはピーターが94年にリリースしたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第30番と同じ日のセッションで、調べてみると、この頃のゼルキンのリサイタルは、この3曲を中心に組まれていた。ゼルキンによるショパン?信じがたい事実ではあるが、1979年の来日ではAプログラムにモーツァルトとベートーヴェンのソナタに加え、このショパンのプレリュードが演奏されている。

 2003年ゼルキン生誕100年祭。ソニー国内盤は皆無。長年ほぼ全人生の録音をCBS(現ソニークラシカル)に捧げてきたゼルキン生誕100年を無視ですか?日本のソニークラシカルに怒りさえ覚えた。ところが、ついに洋書でゼルキンの伝記が出るという知らせが届いた。「Rudolf Serkin A Life」で、

なんと、ワシントン国会図書館で開かれた演奏会の録音がCDで付けられるということであった。しかも、すべてが、ゼルキンのスタジオ録音の無い独奏曲のレパートリーで、その中にはなんと、ショパンのエチュードOp.25全曲が含まれていた。ネット予約を早速済ませ、到着を待った。届くと急ぎCDを聞き、40代のゼルキンのすさまじい演奏に衝撃を受けた。相変わらず情熱的な演奏で魅了するゼルキン、しかし、激しい。こんなに熱を帯びたショパンを聞いたことがあるだろうか。ペライアにOp.10はよく勉強しなくてはならない作品として、ショパンのエチュードの重要性を説いたと伝えられるが、ゼルキンによるOp.25全曲、なんとものすごい演奏。コアなマニアへ向けてのリリースであると百も承知しているが、エチュードだけでも広くリリースしてほしい。他にはバッハやメンデルスゾーンの作品が収められていた。

さて、このCDは付録で、メインは当然彼の生涯とレパートリーが記された本である。幼少期の写真にたくさんの音符が書かれた楽譜を眺める、おそらく1桁代のゼルキン少年の姿がある。12歳でウィーン交響楽団とメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番Op25を共演してデビューした彼が神童であったことを示す1枚を見ることができる。すべてのレコーディング情報、マールボロでの演奏と録音の所在、ライヴ録音ではワシントン国会図書館の録音、本人の承認については怪しいライヴ音盤の情報、カーネギー・ホール・リサイタル全プログラム、彼がほぼすべての時期を契約したCBSと晩年移籍したDGの未発表録音。これらの詳細が事細かに書かれている。この情報をもとに、CD化されていない正規録音についてはディスクユニオンに通い、ヤフオクを探し、LPを求めた。捜索を重ねていくと、次第にマールボロ音楽祭の録音が、ミッシャ・シュナイダーのプロデュースによってLP16枚リリースされていることがわかり、ついにはE-bayにまで手を出し探し求めた。1942年にCBSで収録されたバッハのトッカータホ短調はSP以来CDどころかLPにもなっておらず、SP盤とプレイヤーまで買って聞いたほどだ。それでも全録音の情報を知りながらも集めることはできず、2015年に来日したピーター・ゼルキンの演奏会に行き、手紙をお渡しした。「ブッシュ兄弟に始まるゼルキン一家の演奏に感銘を受け、私は音楽の道を志しました。中でもあなたのお父さんルドルフ・ゼルキンのベートーヴェンの素晴らしさが、私をピアノの道へと導いてくれました。しかし、CD化が進まないお父様の音源を聴くことは困難です。これだけ集めましたが、私の全演奏を聴きたいという夢はかないません。私がお父様の演奏をレコードで聴き、次回の来日公演はどうしても聴きに東京へ行きたいと母に懇願しました。しかし、願いかなわず、2か月後にお父様は天へ旅立たれました。ご子息であるあなたの演奏を目の前で聞き、この幸せに感謝しつつも、やはり、お父様の演奏を是非全曲お聞きしたいのです。どうか、ゼルキン一家の演奏を、録音を心待ちにしているファンが日本にいることをお心の片隅にお留めください。」と書き、集めた全レコード類の写真とふるさと静岡のお菓子とともにお渡ししたのだ。おそらくピーター・ゼルキンは私のすさまじい写真と、怪しい英語に呆れたであろうが、その2年後、2017年、彼の素晴らしい言葉とともに、ルドルフ・ゼルキンCBS全録音がまとめられた75枚組のCD BOXがリリースされたのであった。歓喜も歓喜。このボックスを2つ買ったほどだ。しかし、残念ながら、「Rudolf Serkin A Life」に記載されたCBSに眠る未発表録音は含まれなかった。私もピアノを弾く身。未発表には理由があるのは重々承知している。しかし、ゼルキンの演奏を1曲でも多く聞いてみたい欲求、願望は消えることがない。CBSにはゼルキン録音契約初期の1940年代に彼の音盤に無い作品が未発表録音として存在する。

 

1941年にはモーツァルトの幻想曲ハ短調K.475、シューマンのアベッグ変奏曲、

1947年にはシューベルトのさすらい人幻想曲、

1951年にはブラームスのシューマンの主題による変奏曲、ウェーバーのインヴェンションとダンス、

1967年にはシューベルトのソナタイ長調D.664があり、

これらはゼルキンの音盤として他に存在しない(ただし、さすらい人幻想曲は1974年のトロントでのリサイタルのライヴ盤がCD-Rで出された)。

 

さらに、

1967年にステレオで録音したベートーヴェンのディアベッリ変奏曲、

1968年にオーマンディとの最後の録音となったモーツァルトのピアノ協奏曲イ長調K.488が残されている。

 

このあたり、ゼルキン生誕120年の記念の年に、どうにかお願いできないでしょうか?ソニーさん。

よろしくお願いします。

 

 そして、未発表録音の記載はゼルキン最晩年の1980年代、DGレーヴェルへと移る。1986年のワルトシュタイン・ソナタ、1989年の熱情ソナタ。ゼルキンがアバドとのモーツァルトピアノ協奏曲全曲録音にプロジェクトを開始した1981年からDGとの契約が始まったはずだが、1986年はゼルキンがモーツァルトの協奏曲録音最終になってしまった年である。第18番K.456を11月にロンドンで録音しているが、ワルトシュタインはその約半年前の3月14、15日にニューヨークでスタジオ録音されたものだ。ゼルキンが承認したレコーディング最後の年の記録であるが、ワルトシュタイン・ソナタのリリースが見送られたのは、コーダのオクターヴ・グリッサンド(ゼルキンは終楽章のプレスティッシモ部分で、両手に書かれたオクターヴのスケールを片手ずつグリッサンドで演奏している。ベートーヴェンの自筆譜にはベートーヴェン自身により、片手で弾くようにご丁寧にすべての音符に運指番号が書かれている。すさまじく速く指定されたテンポで、レガートかつ片手でオクターヴの音階を弾く指示は、当時グリッサンドという言葉がなかったことから、当然そのように弾くための指示であると解釈するゼルキンの考えを私は支持する。)弾く際に、ピアノの鍵盤が固く(なめらかではなく)演奏効果が不十分な録音となり、ゼルキンのリリース拒否の理由であったと以前何かで読んだ記憶がある。そして、熱情ソナタは、私の知る限り、ゼルキンの最後のセッション録音である(1989年5月30、31日、6月1日)。この年、ゼルキンは彼にとって最後のマールボロ音楽祭で恒例の合唱幻想曲Op.80(ベートーヴェン作曲)を弾く(1989年8月13日)。

 きっと体調は芳しくなかったはずだが、そんな中、1962年のCBSでのセッション以来、27年ぶりに、なぜゼルキンが熱情ソナタを録音したのか?大切なレパートリーを繰り返し録音するタイプのピアニストであることは既に述べたが、長い空白と、最晩年のゼルキンは、テンポをゆっくりにして歌いこむスタイルへと変化していたが、なぜわざわざ激しい作品の中でも超一級に値する熱情ソナタを選び、再び録音したのか?1962年の名盤誕生以来、リサイタルでは度々演奏し、来日公演では、熱情ソナタをアンコールで全楽章弾いたとも伝えられるが、ゼルキンのリサイタルのメインプログラムに常にあった熱情ソナタを、なぜ27年の沈黙を破ってスタジオ録音したのか?振り返れば、ピアノ・ロールを除くと、ゼルキンのピアノ独奏曲の録音は1936年のロンドンでのスタジオ録音で、1番最初に熱情ソナタを録音していた。演奏回数、アンコールでも抜粋せず全楽章弾く徹底ぶり、ゼルキンにとって最も大切なレパートリーであったのだ。86歳に達したゼルキンが、まるで遺言のように録音した熱情ソナタ。おそらくびっくりするくらいゆっくりなテンポ設定で演奏されたのではないか?そう想像するが、ベートーヴェンの演奏に生涯をかけ、目指しつつも作品の偉大さゆえにピアノ・ソナタ全集を完成することなく世を去ったゼルキンが、最後にもう1度弾いた熱情ソナタ。彼が、この曲で何を語っているのか、今から楽しみでならない。ためらいながらも、この録音のリリースと共有を決意してくれたユディース・ゼルキンに心から感謝と敬意を表す。私はこの録音の存在を知り、20年待った。

そして、昨年の私自身のゼルキンに捧げるオマージュCD収録を前にこの録音の存在を口にし、聞ける日が来ることを切望した。あと1か月でその願いが叶う。DGの新シリーズ、ロスト・テープス(未発表のまま埋もれた素晴らしい録音を発掘リリースする)の第1号に選ばれたこのCD。ゼルキンのファン、ベートーヴェンのファン、ピアノのファンのみならず、1人でも多くの人のお耳に、お心に届くことを願ってやまない。

2023年10月19日大石啓