本日のご来場誠にありがとうございます。
今年は、恐らく日本で最も人気の作曲家であるベートーヴェンの生誕250年に当たります。
楽聖ベートーヴェンとして神格化して称えられ、偉大な作品に触れてきました。
そのベートーヴェンも私達と同じ1人の人間なのです。
恋をして、踊って、怒って。
有名な作品、いわゆる「月光ソナタ」と共に、あまり知られていない、ベートーヴェンの人間味あふれる小品を組み合わせ、ベートーヴェンの素顔に迫るプログラムを組みました。
音楽室に居る“おっかない肖像画の作曲家”の姿がきっと違って見えてくることでしょう。
聴力を失い、なお作曲し、我々に音楽とメッセージを届けたベートーヴェン。彼の不屈の精神から、得る力は大きいものです。
大変な世の中になってしまいましたが、ベートーヴェンの書き残した音楽が、何か私達に力を授けてくれることと願っています。
コンサートの再開にあたり、ご来場くださいました皆様、開催に当たり様々な工夫を凝らしご尽力くださった静岡県文化財団の皆様に心から御礼を申し上げます。 大石啓
Program Note
ベートーヴェン:幻想風ソナタ嬰ハ短調作品27-2 (ピアノ・ソナタ第14番「月光」)
ベートーヴェン(1770-1827)のピアノ・ソナタ32曲(作品番号が付けられず出版されたソナタも含めれば全35曲)は、彼の生涯の大半の時期に書かれ、作風の変化により我々は彼自身の成長と、発展途上にあったピアノの変化も知ることができる。
ベートーヴェンは最初のソナタ(作品2)から11番目のソナタ(作品22)までモーツァルトやハイドンら先輩作曲家の書法を独自に消化展開して、ソナタの“決まりごと”を踏まえた上で大胆なソナタを書き続けた。12番目のソナタ作品26ではソナタ形式の楽章が1つもない(変奏曲、スケルツォ、葬送行進曲、ロンド)破天荒な作品が生まれる。ベートーヴェンは更なる試みを開始したのであった。このころ書かれたソナタは、音楽学者によって「実験ソナタ」などと呼ばれている。
作品27(第13番、第14番)は2つのソナタから成るが、両曲ともにベートーヴェン自身によって<幻想風ソナタ>と名付けられた。第1曲(作品27-1)は3つの楽章から成るが、全楽章が切れ目なく演奏される点が既にロマン派時代の作風を先取りしている。第2曲(作品Op.27-2)は最初におかれるべきAllegro楽章が省かれ幻想的な緩徐楽章に始まり、メヌエットを経て激しい終楽章に結ばれる。この終楽章ではソナタ形式が復活しており、フィナーレに重点を置いた作風としては最初の作品となった。このソナタが完成年は、自筆譜に1801年(31歳)と明らかに示されているが、その他成立について詳細は分かっていない。当時の教え子にイタリアの伯爵令嬢ジュリエッタ・グイチャルディがいた。ベートーヴェンは14歳年下の彼女に恋心を寄せ、彼女のためにこのソナタを作曲した。ジュリエッタの美しさ、あるいは激しい恋心を表わしたとも捉えられるこのソナタは、ベートーヴェンのラブレターであるかのように彼女に捧げられたのである。ベートーヴェンは彼女に結婚を申し込んだが、身分の違いからこの恋が実を結ぶことはなかった。
このソナタが「月光」と呼ばれるようになったのは詩人ルートヴィヒ・レルシュタープ(1799-1860)が「ルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」(1832年)と言ったことによる。ベートーヴェン作曲当時僅か2歳だったレルシュタープのコメントはこの曲の美しさを讃えるのに大きな役割はしたが、作曲内容とは全く関係ないものである。
ベートーヴェン:パイジェッロのオペラ「水車小屋の娘」の“我が心もはや虚ろなり”の主題による6の変奏曲 ト長調 WoO.70
ベートーヴェンは即興演奏の名手であった。自身が、思うがままに弾いた即興演奏と、弾きあいの腕比べの場では、他者に与えられた主題をその場で展開して即興演奏することもあったようだ。ベートーヴェンにとって、即興演奏と密接にかかわる変奏曲は、最も身近な楽曲形態であったのだろう。ベートーヴェンのピアノ独奏のための変奏曲は20曲が残されている。即興的に演奏されたものを考えると、この20曲はベートーヴェンが生涯に渡って作曲した変奏曲のほんの1部にすぎないのかもしれない。
<“我が心もはや虚ろなり”の主題による6の変奏曲>はベートーヴェンが音楽の都ウィーンに出て数年後の1795年7月(25歳)の作である。パイジェッロはイタリア生まれのオペラ作曲家で、その生涯に80曲に及ぶオペラを作曲している。オペラ「水車小屋の娘」は1788年に作曲され、1790年にウィーンで上演されているが、1794、95年にも数回ずつ再演された人気作であった。恐らくベートーヴェンは再演時のいずれかを聴き、その人気作を主題とした変奏曲を2つ作り(WoO.69、このWoO.70)、ウィーンの音楽愛好家の注目を得ようとしたのであろう。“我が心もはや虚ろなり”は、人を好きになって苦しいと言った恋心を描いた歌であるが、いつの時代も恋愛沙汰は興味の的であっただろうし、また、恋多き男ベートーヴェンにとっても見逃せない内容の歌だったのであろう。
イタリア語(原詩) |
日本語(訳) |
Nel
cor più non mi sento |
もはや心に感じられない |
原語及び訳詩ハwIkipediaより転載
ベートーヴェン:エコセーズ 変ホ長調 WoO.83
1806年(36歳)の作品。エコセーズは18世紀から19世紀はじめにかけてフランスとイングランドで特に流行したスコットランドのフォークダンス。フランス語で「スコットランド風(舞曲)」の意味。快活な舞曲。自筆譜が失われているので、詳細はわからないが、小品であるこの作品をレヴィーン、ブゾーニ、ダルベーアなどの大家も録音を残すほどの人気の作品。度々来日したケンプもアンコールに演奏している。
即興演奏の名手であったベートーヴェンは、実演の際にはアレンジを加えたことも考えられ、今回の公演ではケンプ、ブゾーニ等の編曲を参考に演奏する。
ベートーヴェン:ハンガリー風奇想曲 ト長調 遺作(Op.129)「失くした小銭への怒り」
ベートーヴェン没翌年に出版された遺作。長年、作品番号の129通り晩年の作と考えられてきたが、最近になって1795~98年(25~28歳)かけて作曲された初期のものと断定された。ベートーヴェン自身が書き込まなかったのか、または失われたのか、左手パート数箇所の欠落があり、初版時に補筆完成されたらしい。彼の作風を考慮して明らかに不自然な個所(音楽的な反則:平行、第3音の重複、ベートーヴェンらしからぬ不自然な進行等)は大石自身が修正を施して演奏する。
ベートーヴェン作曲の「失くした小銭への怒り」という滑稽なタイトルに目を疑いたくなるが、ベートーヴェン自身は「ハンガリー風奇想曲」と名付け、作曲者自身の命名ではない。単純なテーマを複雑に展開して、気まぐれに繰り返すように仕上げているが、それが短気で癇癪を起こしているようにも聞こえることから納得のいく呼び名である。恐らく販売促進のために出版社がこの滑稽な副題を付けたのだろう。現代に言う"片付けられねーぜ"のベートーヴェンが有るはずの小銭を見つけられず、癇癪を起こしている姿が思い浮かぶようだ。(解説:大石啓)
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